帰国の日、ブータンに来て初めて、朝からの雨の日を迎えました。「先生は、ブータンに好かれたからもう帰れないねえ。」と言うガイドのトンジェイに送ってもらって空港に着くと、飛行機の出発が遅れることが伝えられました。たまたまエコノミーが満席だったので取ったエグゼクティブのチケットが役に立ち、私たちはエグゼクティブのラウンジで待つことになりました。
 しばらくすると、空港職員に案内されて一人の若者が入ってきました。音楽でも聞いているのか、耳にイヤホンを入れていますが、坊主頭で上着の中に黄色いシャツが見えます。黄色いシャツは余程の高僧でないと着ることができませんから、僧正レベルのはずです。この若さなら活佛(リンポチェ)以外にはないだろうと思って見ていると、彼は急に一人で話し始めます。イヤホンは電話のイヤホンだったのです。何やら指示を仰いで電話が掛かっているらしく、彼はてきぱきとした口調で話しています。
 電話が終わると彼は、「うるさくしてすみませんでした。」と、私に話しかけました。私は、「いいえ、とんでもない。お忙しいですね。」と答えた後、「あの、あなたは活佛(リンポチェ)ですか?」と聞きました。すると彼は笑顔で「そうですよ。」と答えました。
 リンポチェは、これからバンコクへ行くということでした。バンコクで1週間ほど講演をして、ブータンに戻り、また2週間後にはネパールへ行く予定なのだそうです。日本にも来たことがあるということでしたが、中国、チベットなどいろいろな場所に講演をしにいくようでした。
 「講演は英語でされるのですか?」と聞くと、「そうなんです。中国語が話せると良いと思うことがよくあるんですけど。」と言い、時間ができたら勉強したいと仰っていました。でも、それは遠い向こうのことのように思われました。私と話している間だけでも、3回も電話が掛かって来る程お忙しいのですから。
 話の途中で「あなたはいつもは日本の国内で活動されているのですか?」と彼は聞きました。立派な僧侶と勘違いして頂いて、申し訳ないやら恥ずかしいやらです。4回目の電話が掛かった時、彼は「失礼しますね。」と言って席を立ち、どこかへ行きました。後から妻が人気のないレストランでお電話をされていたのを見たそうです。
 飛行機は相変わらず飛ばず、私たちは昼食をもらいました。食事が終わってしばらくするとリンポチェはラウンジに戻られ、空港職員が食事を持って来ました。きちんと接待をしようと、おかずをもう少し入れましょうかと聞いたりコーヒーや紅茶やクッキーも勧めるのですが、活佛はいらないと手を振ります。それでも最後に職員がお水を勧めると、「いらないと言っている。」と少し怒られたようでした。この人は必要があってエグゼクティブには乗るけれど、余分な物は一切必要としない人なんだと分かりました。飲み物さえ取らずに、ほどんどがライスのブータン料理の一皿を黙々と食べられました。
 食後、少しゆっくりされるようなので、またお話をさせて頂きました。僭越ながら私の名刺を差し上げると、何とリンポチェも私に名刺をくださいました。ウグェン・チャドリン26世とその名刺には書いてありました。「26回目の生まれ変わりなんですか?」と聞くと、「そうですよ。私は2回目に生まれかわった時には、タクツァン僧院を治めてました。」と、覚えていることが当たり前のように話されました。肉体的には若いけれど、威厳と風格をもちながらも穏やかなその態度は、決して若者のものではありませんでした。
 その後も雨はとうとうやまず、私たちは航空会社の用意したホテルにもう一泊することになります。トンジェイがやっぱりねと笑いながら空港に迎えに来てくれ、私たちはバスに乗らず、彼にホテルに送ってもらいました。