ブータン唯一の国際空港がある町パロは、谷間に美しい田園風景が広がる町です。そのパロにあるブータン最古の寺、キチュ・ラカンへの拝観許可をいただいた私たちは、ガイドのトンジェイに連れられて行きました。
パドマ・サンババがチベット仏教を広める前からある、この由緒ある寺のお堂には、大きな釈迦如来像が周りに随分多くの十一面観音像を従えていらっしゃいました。大きなエネルギーを感じた私は、釈迦堂の前の部屋の端で坐り始めました。釈迦堂はドアが閉じられていて60cm程の網の入った窓越しにしか見ることができないのです。
しばらく坐った後で目を開けると、お堂の監視をしていた若い修行僧が、知らぬ間に私の近くに来ています。「どうでしたか?」と聞く彼に「私は、ブータンでこれだけ強いエネルギーを持った釈迦如来像を他に知らない。君は、こんなに素晴ら
しいエネルギーを持った仏様の近くで修行ができて幸せだ。」と答えました。多分トンジェイに私のことをすごいお坊さんだと吹き込まれた彼は、気分を良くしてか釈迦堂の前のドアを開けて私をそこに呼んでくれました。
「そこに坐ってもいいのかい?」うなずく彼の元に行こうとする私に、「先生、だめ! 入っちゃ行けない!」と外から戻ってきたトンジェイのおびえたような声が聞こえました。「大丈夫、ここに坐ってお釈迦様のエネルギーを感じさせてもらうだけだよ。」トンジェイがほっとした顔になるのを確かめて、私はお堂の入り口で、また坐り始めました。トンジェイはタクツァン僧院以来、私が坐り始めるとしばらく動かないことを知り、お堂の右横に新しくできた、鍵のかかったお堂(前王妃が寄進された大きなパドマ・サンババ像が安置されています)の拝観ができるよう、堂主にお願いに行ってくれていたのでした。
強くて大きなエネルギーをきちんと感じた後、目を開けると妻がみかんを食べています。お母さんが恋しいのか、妻のそばを離れない11歳の少年僧と若い修行僧が、下げてきた供物をくれたようです。「?、このみかんは.....」「そう、お堂の前のみかんですよ。」「いいの?」「これだけしかありませんが。」と言って、彼は私の手のひらに剥いたみかんを5つ置いてくれました。いくら不勉強な私でも、キチュ・ラカンのみかんの話くらいは知っています。標高2400mもの高地では普通は育たないみかんが、このお堂の前で毎年実をつけるのはご本尊のお釈迦様のお力のおかげだと、ブータンの人々が考えているという話です。私は3つ食べ、2つはあまりにもったいなくて、食べずにホテルに持って帰りました。何も知らない妻は、少年僧と一緒に全てを食べ終わった後でした。
後からトンジェイに聞くと、みかんの実は決して取らないのだそうです。自然に落ちると、その実は全てお釈迦様に捧げられ、下げた後は修行僧達の口に入る以外にはない。長年ガイドをやってきたトンジェイでも今回初めて食べさせていただいたというのです。「ブータン人でもできないことを先生はやる。何て不思議な人なんでしょう。」とトンジェイの思い込みが更にきつくなりました。
その後、周りの十一面観音像の、胸に染み入るような、何とも言い難く綺麗で優しいエネルギーに感動してお堂を出た後堂主様に案内していただいて、パドマ・サンババ像にご挨拶してお寺を出ました。お寺の周りのマニ車(経文の書かれた紙が中に入っていて、車を一回まわすとお経を一回読んだことになる祈りの道具)を回して素晴らしい仏様方のエネルギーの余韻に浸りながら門を出ようとすると、妻が「見て!見て!」と叫びました。
今まで見たこともないようなきれいな虹がパロの谷に架かっていたのです。私たちは仏様方に感謝して、寺を出ました。